小雨に降られて日野町散策
(2017-04-17)
ブロ友さんが紹介されてて
いいなぁ~って思ってた
滋賀県蒲生郡日野町へ行ってきました

まちかど感応館
江戸時代、日野椀に代わって行商の有力商品となり
日野商人を発展に導くものに合薬がありました
その創始者が正野法眼玄三です
玄三は18才の時日野椀や茶・布を持ち行商に出ましたが母の病気で帰郷
当時京都の名医の診療で母の病気をなおすことができたことから
医師を志し医師になりました
後は医薬に恵まれない山間辺地の人や
日野商人の長旅の道中薬として感応丸を作りました
この合薬を日野商人が全国に持ち歩くうち
効き目が評判となり、地元日野で薬を製造する人も増え
現在も地場産業として息づいています

「万病感應丸」の大きな看板が掲げられている旧正野薬店内には
日野町の薬業の資料展示、喫茶コーナー・観光協会事務所があります
管理人達は、まずこちらに入らせていただき、↑のマップを頂きました
観光協会の方には、いろいろ丁寧に説明していただき
さぁ~今から散策を・・・って思ったら小雨が降りだして
歩いて回る事を断念せざるをえませんでした
車でちょこっと走って回っただけでした(残念です)

「桟敷窓」
日野町は、天秤棒を担いで特産品の日野椀や薬などの行商を足がかりに
全国に商圏を広げるまでに発展した近江日野商人発祥の地で
全国にその名をとどろかせていた頃の面影を色濃く残す町並みが続いています
そんな町並みに、約800年の伝統がある
「日野祭」を家の中からでも見物できるようにと
道路に面した板塀の一部を切り取って
「桟敷窓」と呼ばれる開口部を設けた、昔ながらの町家が点在していました

「日野祭」は馬見岡綿向神社の春の例祭
800年以上の歴史を持つ日野で最も大きなお祭りで
毎年5月2日、3日に行われます
5月2日は夕暮れより各町内の山倉や辻まで曳山が引き出され
提灯に明かりが灯されます
夜遅くまで祭囃子が奏でられ、祭り気分を盛り上げます
5月3日の本祭の日は朝早くから祭をとり仕切る神調社(シンチョウシャ)
神子(カミコ)などの渡御よりはじまり
お昼頃には各町内より十数基の曳山が神社境内に勢ぞろいするそうです
日野町には現在16基の曳山が現存しています

曳山は、この倉庫「山倉」に入れて保管されています
日野町のあちこちに、この山倉がありました
今年の日野祭り、行きたいねって話しています
もし行ったら、また紹介させてください

『瑞雲山 大聖寺』 (ずいうんざんだいしょうじ)

浄土宗の寺で寺伝によれば、関が原合戦があった頃
鎌薬師(かまやくし)と呼ぶ
薬師如来(やくしにょらい)をまつる小さな堂でしたが
江戸時代の初期に安翁和尚が寺を創建して
より日野商人の信仰や財力に支えられて法灯が栄えてきました

豪商中井源左衛門が、一切経を納める経蔵を建てており
本尊阿弥陀如来(あみだにょらい)の脇侍観音(わきじかんのん)
勢至(せしの)両菩薩像は和朝風の正座仏として珍しい様式を持っています

日野町を歩いてると
立派なお寺が沢山建っていて
驚きました

黄色のラッパ水仙

スノーフレーク
境内に咲いてました
とても綺麗で、周りがぱっと明るかったです
続きます


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